春まだ浅い北海道千歳の地で、一頭の黒鹿毛の仔馬が誕生した。名はヴィクトワールピサ。「勝利の山」と冠されたその名は、まるで運命の導きのようだった。
幼い頃から、彼には特別な何かがあった。静かな瞳の奥に燃えるような情熱、走るたびに浮かび上がるしなやかで力強い筋肉、そして彼自身も気づかぬうちに――勝利の星が背に宿っていた。
デビュー戦、そして皐月賞。父ネオユニヴァースと同じ道を歩むように、若きヴィクトワールは栄光をひとつひとつ積み重ねていった。だが、その栄光の道のりは平坦ではなかった。日本ダービーでは3着。凱旋門賞に挑むも、異国の空の下で望んだほどの結果は残せず、彼の名が忘れられかけたとき――日本に、未曾有の災厄が訪れる。
2011年3月11日。東日本大震災。
津波が家を呑み込み、人々の笑顔を、日常を、命を奪った。テレビの向こうでは、焼けた空と壊れた街並みが映り、誰もが言葉を失っていた。競馬も開催中止が相次ぎ、夢や希望の象徴だったサラブレッドたちでさえも、その脚を止めていた。
だが、その沈黙の中で、ひとつの挑戦が始まっていた。
ドバイ。世界最高賞金レース「ドバイワールドカップ」。全長2000メートルのダートコースに、世界中の王者たちが集う場。その舞台に、ヴィクトワールピサが立っていた。
「日本に、少しでも光を――」
ミルコ・デムーロ騎手は、そう呟きながら彼の背に乗った。誰もが暗闇に飲まれそうな日々の中、ヴィクトワールの躍動が、ひとすじの希望となるように。
ゲートが開いた瞬間、砂塵が巻き上がる。パワー、スピード、そして魂がぶつかり合うその戦場で、ヴィクトワールピサは先頭に立った。
200メートル、100メートル――
その瞬間、彼は風になった。
駆ける。ただ、駆ける。震災に傷ついた国のために。テレビの前で手を握りしめる人々のために。泥にまみれた未来を、光に変えるために。
そして、ゴール。
世界の王者たちを打ち破り、日本馬として初のドバイワールドカップ制覇。デムーロ騎手はヴィクトワールから降り、馬場に膝をつき、天を仰いで泣いた。
「ありがとう。ヴィクトワール。君は日本の誇りだ」
その映像は、震災の瓦礫の中でも放送された。泣きながら拍手する人、肩を抱き合う人。瓦礫の下から彼の勝利を見つけ出すように、希望は再び芽吹いていった。
その後の彼の脚は、少しずつその輝きを失っていく。怪我、敗戦、引退。
だが、誰も彼を忘れない。彼がくれた「勝利」は、記録ではなく記憶となり、心の中に生き続ける。
人々が困難に直面したとき、ふと浮かぶ黒鹿毛の姿。ドバイの空の下、砂塵を巻き上げながら、風を越えたあの蹄音――
それが、ヴィクトワールピサ。
彼は今も、私たちの胸の中で走り続けている。
レビュー0