風が唸りを上げて吹き抜ける。
北海道新冠町、ノースヒルズマネジメントの放牧地に、まだ冬の名残を抱く冷たい空気が漂っていた。そんな朝、ひときわ強い産声が牧場に響いた。
鹿毛の牡馬。父は米国で活躍したワイルドラッシュ、母はシネマスコープ。
「この仔は、やるぞ」
その時から、牧場の人々は予感していた。どこか影を宿した目と、胸の奥から突き上げるような気迫。名は「トランセンド(超越)」と名付けられた。
トランセンドのデビューは2009年、バレンタインデーの京都競馬場だった。
結果は2着。敗北ではあったが、直線の伸びには何か得体の知れない力が宿っていた。続く未勝利戦で圧勝。さらに500万下戦ではレコードに迫る時計を叩き出した。
「これはクラシックを狙える」
厩舎もファンもそう信じた。しかし――芝の京都新聞杯で彼は崩れた。
9着。芝の舞台は、彼にとって“水”が合わなかった。
ならば、砂に戻ろう。
そうしてトランセンドの“本当の道”が始まった。
2010年、アルデバランSを皮切りにダート戦線で着実に地力を伸ばしていく。
そして12月――ジャパンカップダート。
この年のダート界は、スマートファルコン、キングスエンブレム、シルクメビウスなど強豪ひしめく激戦の年だった。しかし、彼は逃げた。誰よりも速く、誰よりも強く。
「行かせてくれ」
騎手のその言葉通り、スタートから逃げ切り。ゴール板を過ぎた時、実況の声が震えていた。
「勝ったのは……トランセンド!」
その日から彼は、“砂の王者”と呼ばれるようになった。
2011年、フェブラリーステークスでも快勝。
そして、海を越えた戦い――ドバイワールドカップ。
世界の猛者が集う舞台。トランセンドは、再び先頭に立ち、粘り、粘り、最後の直線、ヴィクトワールピサに差し込まれ、惜しくも2着。
「でも、悔いはない」
その瞳に、怯えも後悔もなかった。
秋、マイルチャンピオンシップ南部杯では横綱相撲で快勝し、12月のジャパンカップダートで史上初の連覇を成し遂げた。
このとき、誰もが思った。
“トランセンド時代”の到来を。
だが、運命は非情だった。
2012年、フェブラリーステークスではまさかの7着。ドバイでは13着。
足元の不安、年齢による衰え、そして…心の炎が、少しずつ、揺れていた。
彼の最後の舞台は、大井競馬場の東京大賞典。
結果は8着。
静かに、彼はその役目を終えた。
引退後、彼は種牡馬として余生を送っている。
今は静かに牧場で草を噛みしめるその姿に、かつての猛々しい眼光はない。
だが、トランセンドが刻んだ砂の軌跡は、今も確かに、ファンの心に残り続けている。
遠い競馬場のスタンドから、風に乗って声が届く。
「行け、トランセンド!」
誰よりも速く、誰よりも強く、そして――
誰よりも美しく。
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