風はまだ幼く、北の大地を渡っていた。
1988年4月20日、北海道・新冠。名もなき一頭の牡馬が産声を上げた。
その名は、トウカイテイオー。
だがその誕生は、「奇跡」の始まりであることを、誰も知らなかった。
血の運命、皇帝の息子
父は「皇帝」と謳われたシンボリルドルフ。
母は脚に難を抱え、走ることを許されなかった繁殖牝馬・トウカイナチュラル。
誰もが期待したのは、別の名馬だった。だが、その交配は運命のいたずらで彼に託された。
痩せた肢体。ひ弱に見えるその馬体を見て、人々は言った——「走らないだろう」と。
だが彼は違った。走れば、空気が震えた。
しなやかに、力強く、誰よりもまっすぐに——勝つことだけを、信じて。
無敗のまま、英雄へ
1990年、デビュー戦。
中京の不良馬場、観客のどよめきを切り裂くラストスパート。
抑える手綱に、余裕の4馬身差。
それは、「帝王」の名にふさわしい鮮烈な第一歩だった。
そして1991年、皐月賞。
外枠18番、泥濘む馬場。
だが彼は一切の不利を跳ね返し、まっすぐに前だけを見て勝利した。
続く東京優駿(日本ダービー)では、まるで父をなぞるように、無敗のまま二冠を奪取。
その瞬間、日本中が思った——この馬は、父を超える。
だが、その歓喜は長くは続かない。
ガラスの脚
勝利の直後、脚に異変。
診断は——骨折。
最後の一冠、菊花賞への道は、消えた。
半年後の復帰、誰もが不安を口にした。
それでも彼は産経大阪杯で快勝。
強さを証明し、「無敗の王」の名を守る。
だが次戦、天皇賞(春)。
宿敵・メジロマックイーンとの世紀の対決。
勝負は敗れ、王の連勝は潰えた。
さらに、またしても骨折。
人々はささやいた。「もう終わりだ」と。
魂の走り
1992年、ジャパンカップ。
海外の強豪たちに囲まれ、下された評価は、ただの“5番人気”。
だが、彼は走った。
名だたる強豪を抜き、鋭く突き刺すようにゴールへ飛び込む。
誰もが忘れかけていたその名を、世界がもう一度、思い出した。
だがその熱狂もつかの間。
有馬記念では、前走から一転、最下位近くの惨敗。
敗因は不明。身体も、心も、壊れていたのかもしれない。
奇跡
翌1993年。
骨折、筋肉痛、熱発。
走ることは、もうできないと思われた。
だが彼は、1年ぶりのレースに帰ってきた。
舞台は再び、有馬記念。
14頭の強豪たち、4番人気という低評価。
誰もが過去の栄光を語るだけだった。
しかし、彼は……走った。
懸命に、まっすぐに。
鋭く、泥を蹴り、風を裂くように。
あの時と変わらない、魂の走り。
ゴール板を過ぎた時、場内は沈黙し——そして、轟いた。
「トウカイテイオー、奇跡の復活!」
帝王は眠る
その後も彼は戦った。
だが、ガラスの脚は限界を迎えていた。
1994年、再び骨折。
天皇賞を前に、引退を表明。
そして10月、東京競馬場。
10万人のファンが彼の最後を見届けた。
静かな馬場に立つその姿に、誰もが目頭を熱くした。
——その走りは、ただの勝ち負けではない。
「生き様」だった。
「皇帝の息子」にして、「奇跡の名馬」。
勝っても、折れても、戻っても、走るたびに心を震わせた。
トウカイテイオー——
その名は、日本競馬の伝説であり、永遠の希望である。
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