北海道・浦河。春の風がまだ冷たい2001年5月9日、その牧場に一頭の黒鹿毛の牝馬が生を受けた。母はタバサトウショウ、祖母はサマンサトウショウ。
――スイープトウショウ。
その子馬は、生まれた瞬間から「ただ者ではない」気配を漂わせていた。どこか達観したような瞳。近づけばぴしゃりと尾を振り、誰の言うことも聞かない。やがて調教が始まると、その評判はますます広まった。
「ゲートに入らない」
「スイッチが入らないと走らない」
「でも走り出したら……化け物だ」
反抗的でわがまま。それでも、一度心が動いたときの爆発力は、誰もが息をのむほどだった。
2歳秋、スイープトウショウは京都でデビューを果たした。出遅れた。それでもゴール前では他馬を置き去りにしていた。次走ファンタジーステークスも快勝。誰もがその才能に瞠目した。
そして迎えたクラシックの春。
桜花賞。敵はダンスインザムード。圧倒的な1番人気のその馬に、スイープは果敢に挑むも、届かず3着。オークスでは2着。勝てない。
「やっぱり気性が……」
「素質は一級品だが、もったいないな」
そんな声が耳に入っていたのか、いなかったのか。秋、彼女は変貌する。
2004年、秋華賞。池添謙一の手綱のもと、スイープトウショウは勝った。荒れた京都の馬場を、あの黒い体が美しくも力強く駆け抜けた。
「勝った……あの子がついに、GⅠ馬になった……」
その日、厩舎関係者の多くが涙を流したという。気まぐれで、人の言うことをきかない“魔女の娘”が、自分の意志で頂点を掴み取った瞬間だった。
だが、それはまだ序章に過ぎなかった。
翌2005年、彼女は牡馬の猛者たちが集う宝塚記念へ出走した。ハーツクライ、ゼンノロブロイ――歴戦の強豪が揃うなか、彼女は“牝馬”として挑むことになる。
「無理だろう」
「女馬が勝てる相手じゃない」
そんな声のなか、鞍上とスイープはゲートに向かって歩いた。あの時はすんなり入った。――いや、違う。彼女が、入りたいと思ったのだ。
スタートは五分。向正面でじわじわと位置を上げ、最終コーナーでその尾が風を切った。直線、内に進路を取り、外から迫るロブロイを退けて――ゴール板を駆け抜けた。
39年ぶり、牝馬による宝塚記念制覇。
勝利インタビューで騎手は声を震わせながら語った。「この馬が、どれだけ凄いか……誰よりも知ってるのは僕です」
その後も、スイープは勝ち続けた。2005年エリザベス女王杯では、後方一気の鬼脚で突き抜け、ライバルのエアメサイアを一蹴。気まぐれなはずの“彼女”は、年を重ねるごとに勝負師の顔になっていた。
だが、歳月には抗えない。2007年、京都記念を最後に彼女はターフを去った。
勝ち負け以上に、多くの人の記憶に残ったのは、その「気高さ」だった。誰にも媚びず、誰にも縛られず、ただ走ることだけを信じた名牝。
スイープトウショウ。
彼女の走りは、まるで呪文だった。
誰にも解けない。だが、確実に心を動かす。
彼女がいた季節。
ターフは、確かに魔法にかかっていた。
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