日本競馬史において、”圧倒的”という言葉がこれほどまでに似合う馬がいたでしょうか。
1991年、北海道新冠町にて静かに誕生した一頭の黒鹿毛の牡馬──その名はナリタブライアン。やがて彼は”シャドーロールの怪物”と呼ばれ、競馬ファンの記憶と心に永遠に刻まれる存在となります。
父・ブライアンズタイムの初年度産駒として生まれ、名馬ビワハヤヒデを兄に持つその血統には、はじめから期待がかけられていました。しかし、彼がただの名血馬にとどまらないことを、誰よりも早く見抜いたのは、調教に携わった牧場スタッフたち。鍛えられるほどに輝く素質。その体は驚くほど柔らかく、どれだけ走っても乱れぬ呼吸。そして何より、誰もが口を揃えて言うのは、「跨った瞬間に、ただ者ではないと感じた」と。
1993年、デビューを果たすと、その後の彼はまさに怒涛の快進撃。シャドーロールを着けて臨んだ京都3歳ステークス以降は、別次元の競馬を見せつけ、クラシック三冠を含むGI5連勝、10連続連対という偉業を成し遂げます。
1994年、有馬記念での圧巻の走りは、「2頭のスプリンターが交互に走っても勝てない」と武豊に言わしめたほど。あの年、彼は年度代表馬に輝き、競馬ファンの間でその名は完全に”伝説”となりました。
しかし──栄光の影には、怪我と苦悩がつきまといました。
1995年、阪神大賞典での快勝の直後、彼は股関節炎を発症。それは王者ナリタブライアンにとっても大きな試練でした。復帰戦では精彩を欠き、かつての無敵ぶりが影を潜める姿に、ファンは胸を締めつけられました。
それでも、彼は立ち上がった。
1996年、阪神大賞典でマヤノトップガンと繰り広げた名勝負は、今も語り草です。鋭く伸びたその脚に、誰もが”怪物はまだ生きている”と確信した瞬間でした。
同年の高松宮杯、異例の短距離挑戦。賛否は分かれましたが、その姿はまさに挑戦者。最後の最後まで挑む姿勢を貫いた彼に、観客席から送られた拍手は、勝敗を超えた賛辞だったに違いありません。
そして迎えた引退。
京都と東京の両競馬場で行われた引退式では、無数のファンが詰めかけ、シャドーロールの怪物に別れを告げました。その瞳に、王者の誇りと、戦い抜いた者だけが持つ静かな光が宿っていました。
種牡馬となった後も、彼には多くの期待がかけられました。しかし、1998年9月──胃破裂により、彼は帰らぬ馬となります。あまりに早すぎる別れに、競馬界は深い悲しみに包まれました。
今なお、ナリタブライアンという名は競馬場に響きます。彼が遺したのは、勝利の記録だけではありません。挑み続ける心、立ち向かう勇気、そしてファンとの絆。そのすべてが、伝説を超え、永遠の物語として語り継がれていくのです。
彼が走った芝の上には、今もなお、轟く蹄音が聞こえるようです。
レビュー1
1番好きな馬
自分が競馬を見始めた当時の最強馬です。
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