春風の吹く北の大地で、一頭の鹿毛の牡馬が産声を上げた。1982年、浦河町の日進牧場。その仔馬は、伝説の五冠馬シンザンの最後の代表産駒として、人々の期待を一身に背負う運命にあった。名を、ミホシンザンという。
生まれながらに背負った重すぎる血統と、「最後の希望」という宿命。その小さな身体は、父のような偉大な姿には到底見えなかった。だが、彼の瞳は誰よりも強く、遠くを見つめていた。
――いつか、自分も父のように空を切り裂き、風を超える。
3歳の初陣は遅れた。周囲からは「間に合わない」「期待はずれか」とささやかれたが、彼は黙して答えなかった。ただ静かに、一歩ずつ自分の力を信じて歩いた。
そして迎えた1985年、皐月賞。誰もが伏兵と思っていたその馬が、春の中山を駆け抜ける。ゴール板を過ぎた瞬間、歓声が雨のように降り注いだ。
「シンザンの血が、また目を覚ました」
その年のミホシンザンは無敵だった。続く菊花賞も制し、クラシック二冠。誰もが次に思い描いたのは、あのタイトル――日本ダービー。そして三冠。
だが、運命は残酷だった。
ダービー出走直前、陣営は彼の骨折を告げた。夢の舞台には立てない。名馬としての道は、無情にも閉ざされた。
「なぜだ……なぜ、走れない」
スタンドから聞こえるはずだった声援も、踏みしめるはずだった芝の匂いも、全ては彼の背後でかき消えた。悔しさと孤独が、胸を焼いた。
それでも、ミホシンザンは立ち上がる。誰よりも長く、誰よりも深くリハビリの日々を重ね、約1年後の春、再びターフにその姿を現した。
1987年・天皇賞(春)。京都競馬場。あの時の光を失わぬ瞳が、再び芝を睨む。
レースは壮絶な展開となった。直線、2頭が並ぶ。先に出たのは若きライバル。しかし、ミホシンザンは諦めない。内からわずかに首を伸ばし――ゴール板をかすめたその瞬間、写真判定の結果が告げられた。
「勝者、ミホシンザン!」
歓声が爆発した。場内を包む感動の渦。その姿はまさに、父シンザンの再来。いや、それを超えた――「幻の三冠馬」は、ここに「復活の王」としてその名を刻んだのだ。
引退後、彼は種牡馬として静かな余生を送った。華々しい実績こそなかったが、彼の血は確かに日本競馬界に流れ続けた。そして2014年、32歳。ミホシンザンは眠るようにこの世を去った。
彼の墓碑には、こう刻まれている。
「走れなかった夢が、俺を走らせた」
ミホシンザン――風に抗い、誇りを走り続けた名馬。たとえ三冠を逃したとしても、その魂は決して敗者ではなかった。彼こそが、真の栄光を手にした者である。
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