北海道伊達市。春の陽光がまだ遠慮がちに牧場を照らす朝、青鹿毛の牝馬は静かにこの世に生を受けた。
彼女の名は――メジロラモーヌ。
「脚に難がある子です」
獣医の言葉に、牧場の空気が一瞬だけ重くなる。だが、メジロの人々はその目に宿る光を見逃さなかった。
澄んだ瞳は、どこまでも強く、まっすぐに未来を見据えていた。
ラモーヌは静かな子だった。放牧地で他の仔馬たちが戯れる中、彼女はどこか距離を置き、ただ風にたてがみを揺らして立っていた。
「変わった子だね」と厩務員は笑ったが、その目の奥に、なにか確信のようなものを感じていた。
初めてのレースは東京競馬場だった。1985年の秋、風はやや冷たく、観客の熱気がそれをかき消していた。
その日、彼女は世間の「期待」を叩きつけられる。そして――それを、粉々に打ち砕いた。
他の馬たちを寄せ付けず、20馬身の差をつけてゴール板を駆け抜けるその姿に、場内は静まり返った。
やがて湧き上がる歓声と拍手。その中で、ラモーヌの耳は一切動かなかった。彼女はただ、前だけを見つめていた。
春。桜の花びらが舞い散る阪神競馬場。
牝馬の頂を目指す「桜花賞」。そこに至るまでの彼女の道のりは、決して順風ではなかった。敗北、故障、疑念――だが、ラモーヌはそれら全てを受け止め、噛み砕き、血肉にしていった。
ゲートが開いた瞬間、彼女は他のどの馬よりも静かに、そして鋭く飛び出した。
それは「走る」というより、「舞う」に近かった。
風を切り裂き、空気を纏い、彼女はまっすぐに勝利へと突き進む。
その年、オークスでも、エリザベス女王杯でも、彼女は誰にも負けなかった。
――史上初の「牝馬三冠」。それは彼女が、牝馬という存在そのものに革命を起こした瞬間だった。
人々は、彼女を「魔性の青鹿毛」と呼んだ。
気品と静けさ、激しさと孤高さ。全てが共存するその姿は、まるで美しい幻影のようだった。
しかし、頂点に立った者にも、必ず終わりは訪れる。
引退レースとなった有馬記念。彼女は9着に敗れた。だが、誰もラモーヌの偉大さに疑問を挟まなかった。
「勝敗だけではない」。彼女は、競馬そのものに“物語”を与えた。
そして、静かな牧場に戻った彼女は、母となった。
だが、母としての彼女の道は厳しかった。出産の失敗、仔馬との別れ。
それでもラモーヌは、かつてのように前を向き続けた。
そして2005年の秋、22年の生涯に幕を下ろした。
その死は静かで、穏やかだったという。彼女の眠る丘には、風が吹き続けている。
春になると、今もその丘には一面の菜の花が咲き誇る。
そして、たまに青鹿毛の幻が、風の中を駆け抜けるという。
彼女の名は、メジロラモーヌ。
人々の記憶に刻まれた、誇り高き牝馬。
その走りは、永遠に競馬という世界の中で生き続ける。
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