まだ雪の残る北海道浦河町。
凍てつく空気の中で、ひときわ強い産声が響いた。2010年2月25日──名もなき鹿毛の牝馬がこの世界に降り立った。
名は、メイショウマンボ。
その名には、父スズカマンボの「マンボ」、そして冠名「メイショウ」が込められていた。だが、まだ誰も知らなかった。彼女が、やがて時代の風を切り裂く「女王」となることを。
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デビュー戦は2012年11月、京都。
彼女は青空の下、軽やかにターフを舞った。人気に応え、鮮やかな初勝利を飾ったその走りは、ただの勝ちではなかった。風をまとうその姿に、人々はひとつの予感を抱いた。「この馬は、何かを起こすかもしれない」。
だが、運命はいつも直線ではない。
阪神ジュベナイルフィリーズでは惨敗。世界の壁を前に、彼女は深く泥を噛んだ。
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2013年、フィリーズレビューで重賞初制覇。桜花賞では再び沈んだが、物語の転機は、東京・府中の芝2400メートルにあった。
第74回オークス。
9番人気という評価は、あまりにも低すぎた。だが彼女は、スタートから一歩一歩、まるで記憶を塗り替えるようにして風を裂き、ゴールへと飛び込んだ。──GI初勝利。静寂の中、歓声がはじけた。
その後、秋華賞。続けてエリザベス女王杯。
女王は王道を駆け、その蹄で掴んだ。
誰もが彼女を称えた。「最強牝馬」と。
だが──
時は残酷だ。2014年、2015年と、勝利は遠のいた。
それでも、メイショウマンボは走った。勝てなくても、逃げなかった。彼女の眼差しはいつも、まっすぐだった。
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2017年春。彼女は静かにターフを去った。
31戦6勝。勝ち星よりも記憶に残る名馬だった。
牧場に戻った彼女は、繁殖牝馬として新たな使命を担い、そして──
2025年4月。
彼女は新たな命を宿した牡馬を出産した直後、出血が悪化した。命は奇跡のように一度は安定した。だが、その安らぎは長く続かなかった。
4月25日朝。彼女は静かに瞳を閉じた。
15年の命だった。
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今も、あの風が吹く。
芝を駆け抜けた蹄音は、記憶の彼方で鳴り響いている。
ファンの誰もが忘れない。風をまとい、勝利と苦悩を引き受けて走り続けた、あの誇り高き鹿毛の牝馬を。
──メイショウマンボ。
君の名は、永遠に風とともに。
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