その蹄が初めて大地を叩いたのは、まだ雪の残る北海道・早来町。ノーザンファームの一角で生まれた栗毛の牡馬は、静かに、けれど確かに、雷鳴のような運命を背負ってこの世に現れた。名はカネヒキリ――ハワイの神話で「雷の精霊」を意味するその名は、やがて日本中の競馬ファンの心を震わせることになる。
デビュー戦は、芝。期待されたその脚は、芝の上では滑った。続く2戦目、小倉の芝でもまた力を出し切れず、結果は惨敗。「名ばかりの馬か」――そう囁かれても不思議ではなかった。しかし、運命はここからひっくり返る。2005年、ダート戦に出走した彼は、まるで水を得た魚のように、いや、雷をまとった獣のように砂の上を駆け抜けた。
9番人気の伏兵。だがカネヒキリは、そのレースで他馬を7馬身ちぎった。観客が唖然とする中、彼はまっすぐゴールを駆け抜けた。その日から、砂の王としての物語が始まった。
ユニコーンS、ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ――三歳世代のダート路線を、カネヒキリは敵なしで駆け抜けた。風を斬り、雷のように走るその姿は、競馬ファンの記憶に刻まれた。大一番・ジャパンカップダートでは、並みいる古馬たちをものともせず、見事にGI制覇。三歳馬が中央のダートGIを制するという偉業を成し遂げたのだった。
だが、栄光の先には、深い影があった。
2006年、世界の舞台――ドバイワールドカップ。海外遠征は勇気の証。しかし、カネヒキリはここで初めて、”世界の壁”という現実に打ちのめされる。そして帰国後、帝王賞2着を最後に、屈腱炎が発覚する。競走馬にとって致命的な怪我。ほとんどの馬が引退を余儀なくされる傷だった。
けれど、彼は戻ってきた。幹細胞治療という希望を得て、雷は再びその力を取り戻した。
2008年、約2年半ぶりに戻ったカネヒキリは、武蔵野ステークスで凡走したものの、次走ジャパンカップダートで、かつての輝きを放つ。あの日と同じように、ライバルたちを力でねじ伏せた。誰もが歓声を上げた。「帰ってきた、雷神が!」と。さらに東京大賞典でも圧巻の勝利を見せ、2008年のダート界は再びカネヒキリの名で締めくくられた。
2010年、彼は最後の走りを見せる。だが、身体はすでに限界だった。前脚に繰り返し炎症が起き、ついに現役引退を決断する。8歳。多くの馬が既に引退している年齢だ。誰よりも長く、苦しみと戦い、走り続けたカネヒキリ。その背に、観客は、希望と勇気を見た。
引退後は種牡馬として多くの後継者を残すも、2016年、不慮の事故により、14歳でその命を閉じた。
雷は去った。しかしその残響は、今も砂に刻まれている。
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