風が吹き抜ける中山競馬場。その芝の上を、まるで風と一体化したように駆け抜ける一頭の栗毛の馬がいた。名を、グラスワンダー。
彼は1995年、アメリカの大地に生まれた。父はSilver Hawk、母はAmeriflora。血統は良くも悪くもない。だがその瞳の奥には、何か抗いがたい輝きが宿っていた。日本の調教師はその光を見逃さなかった。「この馬は、日本の歴史を変える」——そう信じて、彼は高額を投じてこの若き命を手に入れた。
1997年、日本の地で彼の物語は始まった。デビュー戦を鮮やかに勝利すると、続く京成杯3歳ステークス、そして朝日杯3歳ステークスでは、まさに異次元の走りで他馬を置き去りにした。その時、競馬界の空気は変わった。「グラスワンダー」という名は、瞬く間に全国へと知れ渡り、人々の心に「無敗の栗毛」として刻まれた。
だが栄光の影には、常に闇が潜む。
1998年の春、右後脚の骨に異常が見つかる。第三趾骨の骨折。沈黙。沈黙。そして、沈黙。無敗の英雄は、突如として沈黙の檻に閉じ込められた。レース界は次なるスターたちで賑わっていた。サイレンススズカ、エルコンドルパサー、スペシャルウィーク……。
それでも彼は、ただ一つのことだけを信じていた。——「もう一度、あの芝の上を走る日が来る」と。
復帰戦。毎日王冠。敗北。アルゼンチン共和国杯。再び敗北。人々は言った。「グラスワンダーはもう終わった」。期待の裏返しは、容易に嘲笑へと変わる。
だが彼は、立ち上がった。静かに、確かに、勝利を信じて。
1998年の有馬記念。彼は、中山の芝に舞い戻る。ライバルは名馬達——その年のダービー馬スペシャルウィークもその一頭。だが、彼は冷静だった。直線、彼は内から伸びた。栗毛が駆ける、その背には鞍上・的場の信念。歓声が、風のように渦を巻いた——「グラスワンダー、復活の勝利!」
そして、1999年。栄光の年。
宝塚記念。スペシャルウィークとの一騎討ち。ゴール板を越えたのは、またしてもグラスワンダーだった。全身を突き刺す夏の光の中、彼の栗毛はまばゆいほどに輝いていた。
年末、有馬記念。再びスペシャルウィークと相まみえる。そして彼は勝つ。グランプリ三連覇。その瞬間、グラスワンダーは「栗毛の奇跡」となった。
彼の物語は、2000年の引退で一つの幕を下ろす。しかし、その蹄跡は、日本競馬の芝に深く刻まれている。スクリーンヒーロー、アーネストリー——彼の血を継ぐ者たちが、今なおその道を走り続けている。
北海道・新冠の牧場で、老馬となった彼は静かに草を食む。だが、あの目の奥の輝きは、今も変わらない。
「走れ、走れ——己を信じて」
それは、グラスワンダーという名馬が、すべての者に遺した、魂の言葉だった。
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