ドリームジャーニー「夢の旅路」

風が、牧場の丘をやさしく撫でた。
北海道・白老町、社台コーポレーション白老ファーム。冬の名残がまだ土に残る2004年2月、ひときわ小さな牡馬が生まれた。彼の名は――ドリームジャーニー。
それは、夢と旅の名を冠した、長くも濃密な物語の始まりだった。

彼は幼い頃から“異質”だった。
父ステイゴールドの血を受け継いだその身体は、小柄で華奢。兄弟たちに比べても、競走馬としての理想的な体格からは遠く見えた。だが、飼葉を食むその目は、どこか遠くを見据えていた。旅の果て、まだ誰も知らない光景を。

初めてターフを踏んだのは、2006年の秋、新潟競馬場。誰もが様子見だったその新馬戦、彼は最後方から一気の末脚を繰り出し、風のように駆け抜けた。
その脚はまるで「夢」を追いかけるようだった。

2歳の暮れ、朝日杯フューチュリティステークス。
雨がしとしとと降る中山の芝、彼はまたも最後方。だが、彼の旅は終わっていなかった。最後の直線、外から一気に他馬を抜き去り、見事にゴール板を駆け抜けた。
小さな巨星の誕生に、スタンドは沸いた。

しかし旅路に光ばかりはない。
3歳となった彼はクラシック戦線に挑むも、皐月賞8着、ダービー5着。菊花賞では5着と、栄光の頂点に届かぬ日々が続く。騎手、厩舎、ファン、誰もが焦った。
「やはり体が小さすぎるのか」
「早熟だったのかもしれない」
幾度もそう囁かれたが、彼は首を振るように走り続けた。

4歳の夏、小倉の地で再びその脚が火を噴く。
小倉記念、朝日チャレンジカップと連勝。波が来ていた。そして――2009年。
5歳を迎えた彼の旅は、最高潮を迎える。

大阪杯、宝塚記念、有馬記念。
王者の集うグランプリレースで、ドリームジャーニーはライバルたちを飲み込み、春と冬の両グランプリを制した。
芝の上に刻まれたその小さな蹄跡は、日本競馬史に永遠に残るものとなった。

栄光のその先も、彼は走り続けた。
だが、歳月には逆らえない。
7歳となった2011年、最後の宝塚記念を終え、彼は静かにターフを降りた。
通算31戦9勝。だが、数字には決して表れない戦いの数々が、そこにはあった。

引退後、社台スタリオンステーションにて種牡馬となった彼は、自らの血を次の世代へと託す。
名馬オルフェーヴルという弟を持ちながらも、ドリームジャーニーは独自の道を歩み、唯一無二の存在となった。


その目は今も夢の果てを見ている。
小さな体で、大きな夢を背負って走り続けた彼の旅は、もう終わったのかもしれない。
しかし――彼の旅路に心を動かされた者たちの胸の中で、「夢の旅」は続いている。

それが、ドリームジャーニーという名の馬の、たったひとつの奇跡の証だった。

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