2006年3月14日、北海道のノーザンファームで一頭の黒鹿毛の牝馬が産声を上げた。
父スペシャルウィーク、母ビワハイジ──名血を受け継ぎ、「素晴らしい景色」を意味する名を与えられたその馬は、やがて日本競馬史に輝く星となる。
彼女の名は、ブエナビスタ。
デビューは2008年秋。初戦は出遅れての3着だったが、ただならぬ末脚に早くも大きな期待がかかった。未勝利戦をあっさり勝ち上がると、続く阪神ジュベナイルフィリーズでは、驚異的なラストスパートを披露し、母ビワハイジと同じGIタイトルを獲得。
その時、すでに伝説の幕は上がっていた。
翌2009年、桜花賞、優駿牝馬(オークス)と圧倒的なパフォーマンスで牝馬二冠を達成。ゴール前、どんなに届かないと思われた位置からも必ず差し切るその走りは、”女王”の名にふさわしい輝きを放った。
しかし、完璧ではない。秋華賞、エリザベス女王杯、有馬記念と惜敗が続く。凱旋門賞挑戦も断念した。勝利だけが与えてくれるものではない。彼女は敗北の悔しさと、それを乗り越える強さを、その身で私たちに教えた。
4歳となった2010年。ドバイシーマクラシックではあと一歩届かず、再び悔し涙。しかし帰国後、ヴィクトリアマイル、天皇賞(秋)で牡馬を蹴散らし、堂々のGI5勝目。
ジャパンカップでは圧倒的な内容で1着入線しながら、まさかの降着。誰もが天を仰いだが、彼女は決してうなだれなかった。
その年、有馬記念でもハナ差2着。勝ちきれないもどかしささえも、彼女の戦いをいっそう美しく見せた。
5歳。再び挑んだドバイ、国内での死闘。アパパネ、トーセンジョーダン、オルフェーヴル──名だたるライバルたちと渡り合い、幾度も2着に沈みながら、心折れずに戦い続けた。
2011年ジャパンカップ。
満を持して挑んだ大舞台で、彼女はついに悲願の勝利を手にした。
ライバルたちを堂々と差し切り、真の栄光を自らの力で掴み取った瞬間、スタンドの誰もが涙した。
岩田康誠騎手の嗚咽、関係者たちの涙。
それは、勝った者にしか許されない、最高の美しさだった。
有馬記念での引退レース。結果は7着だったが、誰も彼女を責めなかった。
スタンドには、ただ「ありがとう」の声だけが溢れていた。
ブエナビスタ。
その名が意味する「素晴らしい景色」は、
単に勝利の瞬間ではなかった。
たとえ敗れても、あきらめず、ひたむきに走り続けたその姿こそが、私たちにとっての最高の景色だった。
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