ビワハヤヒデ「無敵の兄貴」

風はまだ、冷たかった。
1990年3月10日、福島の牧場にて一頭の芦毛の牡馬が生まれた。雪解けの残るその日の空は薄く曇っていたが、仔馬はまるでその空の灰色を映したかのような毛並みをしていた。
名は「ビワハヤヒデ」。彼の名が後に、日本中の競馬ファンの胸に刻まれるとは、誰が想像しただろう。

運命は、生まれてすぐにその片鱗を見せた。
放牧地の柵にぶつかり、右前脚に深い裂傷を負ったのだ。命さえ危ぶまれる怪我だったが、奇跡的に歩けるまで回復した。けれど、傷痕は消えなかった。彼の脚には、常に「過去」が刻まれていた。

デビューは1992年。誰もが彼の走りに目を見張った。どこか冷静で、理知的な目をしたその芦毛は、鮮烈な3連勝で「只者ではない」と世間に知らしめる。
しかし、その後の朝日杯3歳ステークス。彼は1番人気に支持されながらも、ハナ差で敗れた。勝者エルウェーウィンの影に沈む形となり、早熟の評価すら囁かれた。

だが、ビワハヤヒデは負けを覚えるごとに、強くなっていった。
1993年、クラシック三冠に挑む。皐月賞、日本ダービー、いずれも2着。勝利を手にすることはできなかった。敗北とは、時に不運や運命の悪戯でしかない。それを誰よりも理解していたのは、他でもない彼自身だった。

秋。
舞台は、長距離王者を決める菊花賞。3000メートルの試練の道。
ビワハヤヒデは、その体の奥底に宿る力を解き放った。道中のペースは決して楽ではなかったが、彼は一度も後退することなく、悠然と先頭へと躍り出た。直線、後続を引き離し、誰も彼の影すら踏めなかった。
「これが、本当のビワハヤヒデだ」
その瞬間、彼は「悲運の2着馬」から「王者」へと変貌を遂げたのだ。

だが彼の旅は、まだ終わらない。
年末の有馬記念。1年ぶりに復活したトウカイテイオーとの死闘。激戦の末、僅差の2着に敗れるも、その走りは「常勝」の意味を改めてファンに問いかけた。

1994年。
古馬となったビワハヤヒデは、かつてないほどの完成度を誇っていた。
春の天皇賞では、3000メートルを自らのリズムで支配し、勝利。
そして宝塚記念――そこにいたのは「別次元」の馬だった。5馬身差の圧勝。その背に追いつける者など、この世にいないと思わせた。

彼は、まさに「絶対王者」だった。

そして迎えるはずだった夢の舞台。有馬記念での、弟ナリタブライアンとの兄弟対決。
弟はその年、史上5頭目のクラシック三冠馬となっていた。
「最強兄弟対決」は、競馬界の希望だった。兄と弟、過去と未来。
だがその夢は、あまりにも儚く砕け散る。

秋の天皇賞の直前、ビワハヤヒデは脚に異変を覚えた。
裂蹄。無情なる運命の棘が、また彼の脚を襲ったのだ。
出走は取り消され、彼はそのまま、静かにターフを去った。

戦績、16戦10勝。2着5回。
デビューから15戦連続で連対を果たしたその記録は、未だに語り草だ。
どのレースでも、彼は勝つか、わずかに敗れるかだった。

「勝つために走る」のではなく、「全力を尽くして走る」。
その姿勢は、結果を超えて人の心を打つ。だからこそ、彼は「無敵の兄貴」と呼ばれたのだ。

引退後は種牡馬として静かに暮らした。
目立った産駒を残すことはできなかったが、それでも彼を訪ねるファンの声は途絶えなかった。

2020年7月21日。30歳という大往生を遂げ、ビワハヤヒデは眠りについた。
その日は、空がとても澄んでいたという。

芝の上を、風を切って走る姿。
その鬣をなびかせ、真っすぐに前だけを見据える横顔。
競馬場の歓声と、沈黙の余韻。
それらすべてが、今もどこかに残っている。

そして、彼を覚えている者たちは、こう語るだろう。

「彼こそが、最も誇り高い“2着”の馬だった」と。
「勝敗では語りきれぬ、魂の走りを見せた」と。

彼はただ、走った。
痛みにも、栄光にも溺れることなく。

芦毛の風は、いまも胸の奥を走っている――。

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