冷たい北の風が牧草地を撫でる早春の北海道・早来。
2003年2月23日、その牧場に、一頭の牡馬が産声をあげた。
その馬の名は──アドマイヤムーン。
「この子は、きっと“月”のように静かに、そして美しく輝くだろう」。
生産者の瞳には、既にその走りが映っていた。
血統は良血。父エンドスウィープ、母マイケイティーズ。
しかしその未来を決定づけたのは、血ではなく魂だった。
初めての疾走を見た者は皆、息を呑んだ。
地を蹴る音すら優雅で、まるで大地に月が触れているかのようだった。
夜明けの足音
2005年夏、函館。デビュー戦。
5番人気──多くの期待と少しの懐疑。
だがスタートの瞬間、空気が変わった。
まるで月が夜空を割って昇るような鮮烈な走り。
彼は、誰よりも先にゴールを駆け抜けた。
そこからの連勝は、流星のごとく。
札幌2歳Sでの圧勝、観客は誰もが「この馬は本物だ」と囁いた。
だが、栄光の道は真っ直ぐではない。
4戦目、ラジオたんぱ杯。初の敗北。
ほんの数センチの差──それでも「勝てなかった」ことが、少年の心に火を灯した。
月、翳る
2006年、クラシックの春。
共同通信杯、弥生賞と重賞を連勝し、満を持して皐月賞へ。
勝利を信じた。誰もが夢見た。
だが、勝ったのはメイショウサムソン。
ダービーでも再び敗北。
“月”は雲に隠されたように沈黙した。
「もう終わった」と囁く声もあった。
だが、彼は違った。
敗北を“終わり”にしなかった。
それを“始まり”に変えた。
札幌記念での鮮やかな復活。
秋の天皇賞での存在感。
そして香港カップで世界を相手に2着──。
アドマイヤムーンは再び昇り始めていた。
“月”は、満ちていく途中だったのだ。
星を越えて
そして2007年──栄光の年。
京都記念を制した彼に、運命が試練を与える。
日本を飛び出し、ドバイの地へ。
世界の名馬たちが揃うドバイデューティーフリー。
熱砂の競馬場で、彼は静かに佇んでいた。
そして、誰よりも早く、美しく、駆け抜けた。
「世界を制した」。
そのニュースは、まるで夜空に打ち上がる祝砲のようだった。
帰国後、宝塚記念。
雨の中、泥まみれの馬場。
宿敵メイショウサムソンとの再戦。
勝ったのは──アドマイヤムーンだった。
ついに、国内GⅠ制覇。
そして、最後の戦い。
ジャパンカップ。
誰もが彼に望んだ「有終の美」。
内から鋭く伸びたその脚は、風すら追いつけなかった。
アドマイヤムーン、引退。
その生涯成績、17戦10勝。
GⅠ・3勝。
11億円を超える賞金。
そして、ファンの胸に残る数々の記憶。
静かなる光
彼の背中を撫でるように、冬の風が吹いた。
種牡馬としての新たな旅立ち。
やがて彼の子らも、月の光を受けて走ることになる。
彼の走りは、もはや記録ではない。
それは、物語となった。
アドマイヤムーン──
それは、夜を照らす光であり、闇を越える意志であり、
そして、走ることの美しさそのものだった。
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