1995年3月17日、アメリカ・ケンタッキー州。
一頭の黒鹿毛の牡馬が、静かにこの世に生を受けた。
名は――エルコンドルパサー。
その名が日本競馬、いや、世界の競馬史に燦然と刻まれることになると、誰が想像しただろうか。
日本で育まれたアメリカ産馬
父はKingmambo、母はサドラーズギャル。血統だけ見れば、完全な“外国産馬”。だが彼は日本で育ち、日本のファンに愛され、日本を背負って世界に挑んだサムライだった。
1997年、東京競馬場での新馬戦を快勝してから無敗街道を突き進む。2歳時にしてすでに漂う「只者ではない」オーラ。そして翌年、彼の物語は大きく動き出す。
伝説の幕開け──国内GI制覇そして海を渡る
1998年、NHKマイルカップでは、まだ未知数だったマイル戦線を見事制覇。毎日王冠はあのサイレンススズカの2着に敗れたが、ジャパンカップでは古馬、そして世界の強豪を相手に、堂々の勝利。
「この馬は、本当に日本馬なのか?」
そんな声がファンから漏れたのも無理はない。
彼はただ勝つのではない。
“完璧なレース運び”で、全てを掌握して勝ってみせるのだ。
そしてエルコンドルパサー陣営は次なる舞台を欧州に定めた。
世界を驚かせた1999年──凱旋門賞の衝撃
1999年、フランスを拠点に本格的なヨーロッパ遠征が始まる。
サンクルー大賞を圧勝し、いよいよ世界最高峰の舞台、凱旋門賞へ。
相手はヨーロッパの怪物モンジュー。
しかし、エルコンドルパサーはひるまなかった。先頭に立ち、堂々とレースを作り、最後の最後までその夢を追い続けた。
結果は2着。だが、それは“敗北”ではなかった。
それは、日本競馬の可能性を世界に知らしめた「日本馬による欧州の頂点挑戦」という、勇気ある足跡だった。
突然の別れ──その魂は今もターフに生きる
遠征を終え、種牡馬として第二の人生を歩み出した矢先、2002年、エルコンドルパサーはわずか7歳でこの世を去る。
あまりにも早すぎる別れだった。
しかし彼は、後の日本競馬に確かな「道」を残した。
彼の血を受け継いだヴァーミリアンやソングオブウインドが活躍し、そして彼の姿に心を奮わせた多くの関係者が、後に世界に羽ばたく馬を育てていった。
英雄とは「挑む者」のこと
エルコンドルパサーは、勝利だけを追い求めたわけではない。
未知の地へ、一歩を踏み出したその勇気こそが、伝説を生んだ。
私たちは、あの日、ロンシャンの風を切って走る一頭の黒鹿毛を忘れない。
そして思うのだ――
「日本競馬の夢は、ここから始まったのだ」と。
レビュー1
競馬界のパイオニア
まだ世界が遠かった時代に長期海外遠征を行い世界の頂点まであと一歩迫った競馬界のパイオニア的な存在だと思う。
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