セイウンスカイ「青雲の軌跡」

北の空にまだ雪の名残がちらつく1995年4月、北海道鵡川町の牧場で、一頭の小さな芦毛の牡馬が産声を上げた。名は、セイウンスカイ——「青雲を翔ける者」。まだ誰も、この馬がやがて日本のクラシックを席巻するとは夢にも思わなかった。

父シャーリーフォートレスの血は決して評価が高いわけではなかった。母シスターミルもまた、血統的に大きな期待を背負う存在ではない。だが、この芦毛の仔馬には何か不思議な静けさと気品があった。人知れず風に耳を傾け、群れから少し離れて静かに空を見上げる。まるで自分がどこまで走れるか、空に問いかけているようだった。

デビューは1998年、1月の中山競馬場。5番人気ながら先頭でゴールを駆け抜け、続くジュニアカップでも危なげない逃げ切り勝ち。関係者は驚いた。「この馬……ただの逃げ馬ではないぞ」

3月の弥生賞では2着に敗れたが、その敗北は鞍上を徳吉孝士から横山典弘へと変える転機となった。そして4月、皐月賞。好メンバーが揃う中、セイウンスカイは中団から徐々に進出し、直線でぐいと抜け出した。最後はキングヘイローを抑え、皐月賞制覇——第一の栄光が輝いた。

秋、セイウンスカイはさらに進化する。京都大賞典では、なんと20馬身近い逃げを敢行。そのまま独走でゴールイン。観客は息を呑んだ。菊花賞では3000mの距離も苦にせず、3分03秒2というレコードタイムで2冠を達成。圧倒的な逃げで、自分のリズムで走る。その姿はまるで風そのものだった。

しかし栄光の影に、静かな痛みがあった。1999年には日経賞、札幌記念と重賞を勝つも、腱炎がセイウンスカイを蝕み始めていた。無理を押して出走した天皇賞・秋では5着。懸命に前を向くも、脚はもう本来の風ではなかった。

そして2001年、復帰を目指した天皇賞・春で12着に沈み、そのまま引退。通算13戦7勝。2冠を制した名馬にしては、短すぎるキャリア。しかし、その一戦一戦が、忘れ得ぬ“逃げ”の美学を語っていた。

引退後、種牡馬となったセイウンスカイは、限られたチャンスの中で幾頭かの産駒を残す。大成こそしなかったが、その血と気配は、確かに次代へ受け継がれていた。

2011年、突然の心不全——享年16歳。空に戻っていった彼は、きっとまた雲の上を駆けていることだろう。誰よりも自由に、誰よりも美しく。

青雲、それはただの名前ではない。空を駆け、風とともに生きた馬の、唯一無二の道標だった。

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