その馬は、静寂の雪に包まれた北海道安平町の牧場で生を受けた。2015年1月20日。父ディープインパクト、母リュヌドールという良血の結晶は、後に「気高く、勇ましく」の名のもとに走ることになる。彼の名は、フィエールマン。
デビューは遅咲きだった。3歳の1月、東京の新馬戦。多くの若駒がすでにその蹄音を鳴らしていたが、彼は飄々と、静かに初陣を迎える。その日、予定されていた騎手が急遽乗り替わり、まるで試されているかのような状況で、フィエールマンは後方からひと伸び。まるで風のように、誰にもその脚を捉えさせなかった。
その後も山藤賞で無敗のまま快進撃を続ける。しかし、初の重賞・ラジオNIKKEI賞で2着。だが、敗れてなお見る者を唸らせた末脚。彼は、ただの才能ではない。誰もがそう思い始めていた。
そして秋、重賞未勝利ながら挑んだのは、三冠の最後を飾る菊花賞。キャリアたったの3戦。挑戦など無謀、そう嘲笑う声すらあった。しかし、鞍上と共に、彼はその声を風に消し去った。
――直線、激しい叩き合い。エタリオウとの一騎打ちを制し、フィエールマンはその額に栄冠の菊を戴いた。関東馬として17年ぶりの菊花賞制覇、そしてキャリア4戦での戴冠は史上初。だが彼は誇らしげに叫ぶことはしない。ただ、前を見据えるその瞳に、「もっと速く、もっと強く」という炎が宿っていた。
翌春、彼は天皇賞(春)へ向かう。かつて名馬たちが制した長距離の聖地。ここでまた、彼は歴史を刻む。グローリーヴェイズとの死闘。最後はほんのクビ差、だがその差に込められた気迫は、誰よりも重かった。
夏には札幌記念、秋には世界への挑戦――凱旋門賞。日本の夢を乗せた遠征だった。だがフランスの空は重く、ロンシャンの芝は深かった。12着。完敗。しかし、彼は折れなかった。「次がある」、そう言うように、帰国後の有馬記念では4着に巻き返す。
そして2020年、再びの春天。誰よりも強く、誰よりも静かに勝利を刻む。史上5頭目の春天連覇。コロナ禍で無観客の中、彼の勇姿はテレビ越しに人々の胸を打った。空っぽのスタンドの先に、確かに歓声が響いていた。
秋の天皇賞ではアーモンドアイの2着、有馬記念では3着。ついにJRA賞最優秀4歳以上牡馬に選ばれる。だが、栄光のその裏で、彼の脚は静かに悲鳴を上げていた。
――2021年1月。右前脚の故障が判明し、現役引退。
「走れないのなら、次の夢を育てよう。」
彼は日高の牧場へと戻り、新たな使命――種牡馬としての道を歩き始める。彼の血を受け継ぐ者たちが、また新たな物語を紡ぐだろう。
フィエールマン。その名の通り、気高く、勇ましく――彼は走った。風のように、炎のように。そして今も、誰かの夢の中を駆け続けている。
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