北海道・白老の冷たい風が牧場の丘をなでるように吹いていた。春まだ浅い2009年3月8日、1頭の鹿毛の牡馬が静かに産声をあげた。名を「ジャスタウェイ」。だが、その名が世界中の競馬場に轟くことになるとは、誰も想像していなかった。
父はハーツクライ。あのディープインパクトを唯一ねじ伏せた勇者。そして母・シビルも、血統の奥底に荒々しくも重厚な力を宿していた。馬主は異色の人物、大和屋暁。アニメ『銀魂』の脚本を手がけた才人であり、彼は自身の作中キャラクターにちなみ、愛馬に「ジャスタウェイ」と名づけた。
「どうせなら、目立つ名前がいいだろう?」
彼のそんな軽口を、周囲は笑った。だが、名は体を表すというのは、競馬の世界でも例外ではなかった。
影の中の光
2011年7月、夏の新潟。雲一つない青空の下、新馬戦に現れた鹿毛の若駒は、他馬とは一線を画していた。彼は終始余裕の手応えで先頭に立ち、5馬身差でゴールを駆け抜けた。競馬ファンはざわめいた。「これは大物かもしれない」。
だが、期待は次第に疑念に変わる。重賞での好走、だが勝てない。2着、4着、また2着。鮮やかだが、どこか物足りない。華がない。もしかすると「善戦マン」で終わるのかもしれない。そんな声すら上がりはじめていた。
陣営もまた苦悩していた。「この馬は、何かが足りない」と。
しかし、足りないのではなかった。彼には「時」が必要だったのだ。
運命の秋
2013年、秋。東京競馬場、天皇賞(秋)。名牝ジェンティルドンナ、実力派エイシンフラッシュ、並みいる強豪たちが出揃った豪華絢爛の一戦に、ジャスタウェイは静かにその名を連ねていた。
ゲートが開く。スローペースで流れる展開に、誰もが固唾を呑んだ。そして最後の直線――彼は突如、牙を剥いた。先行勢を飲み込み、外からまくり、まるで空を切り裂く稲妻のように駆け抜けた。4馬身差の圧勝。東京競馬場がどよめいた。
「これが、ジャスタウェイ…?」
その名は、もはや冗談ではなかった。
遥かなる地、ドバイ
2014年3月。異国の砂漠、ドバイ・メイダン競馬場。ドバイデューティーフリー。世界の名だたる強豪たちが一堂に会する舞台に、ジャスタウェイは日本代表として立っていた。
ファンは半信半疑だった。海外で通用するのか。だが、彼はまたしても人々の想像を裏切った。
レース終盤、彼はスパートをかけた。先頭を行く馬たちをまるで「止まっているかのように」交わし、気づけば6馬身以上の差がついていた。時計は1分45秒52。メイダンのレコードを2秒以上も塗り替える驚異的な数字だった。
世界はその名を知った。
レース後、IFHA(国際競馬統括機関連盟)はジャスタウェイを「世界ランキング1位」に認定。日本競馬史上初の快挙。かつて「善戦マン」と言われた馬が、世界最強の称号を手にした瞬間だった。
栄光と、その向こう
帰国戦・安田記念。ドバイ帰りの疲労、不良馬場、全てが不安材料だった。それでも、彼は勝った。グランプリボスとの壮絶な叩き合いを制し、GⅠ二連勝。名実ともに、日本の、いや、世界の王者となった。
だが、競走馬には必ず「終わり」がある。
凱旋門賞――8着。
ジャパンカップ――2着。
有馬記念――4着。
勝てなかった。しかし、その敗戦にすら美しさがあった。彼の走りには、観る者の心を震わせるなにかがあった。
勝利とは、ゴール板を一番に通過することだけではない。全身全霊で挑む姿こそが、真の栄光なのだと、彼は教えてくれた。
未来へと続く蹄音
2015年1月、ジャスタウェイはターフを去った。静かに、だが誇り高く。彼は種牡馬となり、第二の人生を歩み始めた。
「父を超えろ」
かつて彼が見た夢を、今はその仔たちが追いかけている。芝の上に刻まれたその名は、風とともに蹄音にのって、未来へと響き続けている。
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