白老の春は、いつもより静かだった。
2000年3月27日、北海道の白老ファームで一頭の牡馬が産声を上げた。父はサンデーサイレンス、母はローミンレイチェル。名血を受け継ぎながらも、彼には派手さがなかった。誰もが未来の王と期待するわけでもなく、彼自身もただ静かに、ただ誠実に、時を待っていた。
その名は、ゼンノロブロイ。
名を借りたのは、スコットランドの義賊ロブ・ロイ。だがこの若駒は、盗賊のような華やかさとは無縁だった。ただ黙々と、影の中で力を蓄えていた。
2003年、3歳。ゼンノロブロイは競馬という戦場に足を踏み入れる。デビューから安定した走りを見せ、青葉賞を勝利。そして挑んだ日本ダービー。
そこで彼は、ネオユニヴァースという“表の王者”と出会う。
勝者の後ろで、ロブロイは静かにその影に立ち尽くした。菊花賞も、また2着。勝てぬまま、しかし諦めぬまま、彼は走り続けた。
だが2004年の秋、その静けさが風を変える。
天皇賞(秋)、東京競馬場の芝に放たれたロブロイは、まるで“影が王座に上がる”かのような走りを見せる。
──勝った。
歓声も、記者のフラッシュも、初めて彼の名を正面から照らした。
それは始まりだった。
ジャパンカップ、有馬記念──並み居る強豪たちを相手に、ゼンノロブロイは連勝する。栄光は、もはや彼の足元にあった。
秋古馬三冠、史上2頭目。静かなる王が、確かにそこにいた。
だが、ロブロイに安住の地はなかった。2005年、彼はさらなる高みへ挑む。英国、インターナショナルステークス。遠く異国の地でも、彼は堂々と走り、惜しくも2着に沈む。それでも、人々は彼を称えた。
「ゼンノロブロイは、世界にも通じる名馬だ」と。
帰国後も、彼はひたむきに走る。天皇賞2着、ジャパンカップ3着。勝てぬ日々が続く。だが、誰一人として彼を「敗者」と呼ばなかった。
なぜなら、彼の走りは、勝敗を超えていたからだ。
そしてその年の暮れ、彼は静かにターフを去る。
引退後、種牡馬となったゼンノロブロイ。自らのように、静かに、それでいて誇り高く走る子どもたちを残しながら、その名を継がせていく。
2022年9月。彼は22年の生涯を閉じた。
多くを語らず、多くを走り、多くを残したその蹄跡は、今もターフに深く刻まれている。
彼は華やかな王ではなかった。だが、誰よりも強く、誰よりも静かに、そして誰よりも誇り高く──
ゼンノロブロイは、確かに王だった。
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