その馬の名を聞くだけで、胸が高鳴る。
その走りを思い出すだけで、心が震える。
天才か。暴君か。
否、彼はそのすべてを内包した「怪物」だった。
その名は――オルフェーヴル。
父譲りの黄金の血
オルフェーヴルは、2008年5月14日、北海道安平町の社台コーポレーション白老ファームにて誕生した。父は名種牡馬ステイゴールド、母はオリエンタルアート。半兄には重賞勝ち馬ドリームジャーニーがおり、その血統背景はまさに黄金。デビュー前から、周囲の期待と不安を一身に背負う存在だった。
華麗にして苛烈。三冠馬への道
2011年。3歳春。
中山競馬場で行われた皐月賞。オルフェーヴルは直線で内から突き抜け、他馬を置き去りにして勝利。まさに“覚醒”の瞬間だった。
続く日本ダービーでは、後方から一気に駆け上がり、東京の直線を飛ぶように差し切り勝ち。そして秋、菊花賞でもそのスピードとスタミナを余すことなく発揮し、見事に史上7頭目の三冠馬の称号を手にする。
しかし、ただの名馬と違うのはここからだった。
暴君、現る
オルフェーヴルの最大の魅力は、圧倒的な走りに加えて「予測不能」な走りだった。
レース中に逸走する、ゴール前で急に走るのをやめる、勝ち馬を抜いた後に外ラチへ突進する――。
2012年の阪神大賞典。最後の直線で一度先頭に立ちながら、突然斜行してコース外へ向かうも、そこから再加速して2着に突っ込んできた。「何が起きているのか分からなかった」というファンの言葉がすべてを物語る。
世界を震わせた凱旋門賞
2012年、フランス・ロンシャン競馬場。
日本競馬の悲願、凱旋門賞制覇を目指し、オルフェーヴルは海を渡った。
重馬場、外枠という不利な条件の中、直線では一度完全に抜け出し、誰もが勝利を確信した――その刹那、彼はフラつき、ソレミアに差し返される。
2着。それでもあの走りは、ヨーロッパ競馬界に衝撃を与え、「ジャポンに怪物あり」と世界をうならせた。
翌年の再挑戦でも2着。だが、日本競馬が世界に通じることを証明したのは、間違いなくオルフェーヴルだった。
有終の美、そして伝説へ
2013年、有馬記念。
これがオルフェーヴルのラストランとなった。
引退レースの舞台に選ばれた中山競馬場。
彼は、2着馬ウインバリアシオンに8馬身差をつけて圧勝。
その走りは、まるで「俺こそが最強だった」と言わんばかりの、堂々たるものだった。
種牡馬としての挑戦
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。産駒からはラッキーライラック(大阪杯、エリザベス女王杯)やエポカドーロ(皐月賞)などのGⅠ馬が誕生。父としても、その天才的血統が確かに息づいている。
結びに
「本気を出せば最強だが、本気を出すかどうかは本人次第。」
誰かがそう語った。
オルフェーヴルは、我々の常識を破り、想像を超え、競馬の“ドラマ”というものを体現してくれた存在だった。
勝利も敗北も、栄光も混乱も、彼が演じるすべてが「絵になる」。
そんな馬に、我々はもう、二度と出会えないかもしれない。
彼は天才だったのか。暴君だったのか。
いや、オルフェーヴルは唯一無二の怪物だった。
レビュー1
怪物
オルフェの爆発力
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