静かな朝、北海道・浦河の川越ファームに一頭の牝馬が生まれた。牡馬のような芯のある眼差し、小さな体に満ちた爆発前のエネルギー。それが、後に“海の風”と呼ばれる少女――テイエムオーシャンの誕生だった。
「この子は、違う。」
初めて彼女を見たオーナーは、直感でそう思った。名馬の血を継ぐも、小柄な馬体に期待は薄く、周囲は買い控えた。しかし、オーナーの目に映ったのは、勝負に飢えた戦士の眼だった。
2000年夏、札幌競馬場。青々とした芝の上を、少女は初めて駆けた。スタートと同時に弾けるような加速。風を切るたてがみ。並ぶ馬たちを置き去りにして、彼女は真っ先にゴールへ飛び込んだ。
「速い。いや、強い。」
観客たちはざわめいた。誰もが口を揃えて、次のスターが現れたと感じた。彼女の走りは、美しく、しなやかで、どこまでも誇らしげだった。
年末、阪神3歳牝馬ステークス。空は鉛色だったが、芝の上には紅色の閃光が走った。テイエムオーシャン――圧倒的な1番人気を背負い、見事にGⅠ制覇。小さな体で強豪たちをねじ伏せた少女は、一気に時代の寵児へと昇り詰めた。
2001年春、桜が舞う阪神競馬場。チューリップ賞を圧勝した彼女は、本命中の本命として桜花賞へ臨んだ。道中は冷静そのもの。第4コーナーで鞍上・本田優が軽く合図を送ると、テイエムオーシャンは一気にスパートをかけた。
その瞬間、まるで桜の風になったかのように、彼女は他馬を置き去りにする。3馬身差の圧勝――祖母エルプスの記憶が蘇る桜の戴冠だった。
だが、すべてが順調ではなかった。オークスでは、距離の壁と初夏の暑さに苦しみ3着。誰もがそのまま終わると思った。だが、秋――彼女はふたたび立ち上がる。
秋華賞。先行するライバルたちを見据えながら、じりじりと脚を溜める。そして直線。緑の大地を切り裂くように、彼女は突き抜けた。桜と秋の二冠。牝馬の頂に、再び名を刻む。
だが、栄光の影には、代償がつきまとう。
翌年、彼女は再び走る。札幌記念では馬体重30kg増にも関わらず快勝。しかし秋以降――天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念と、勝利の女神は微笑まなかった。
2003年、最後の挑戦を前に彼女は右後脚の骨折に見舞われる。静かに、ひとつの時代が終わった。
引退後は、母としての道を歩んだ。だが、彼女の瞳に宿る闘志は、かつてのままだ。牧草を噛みしめるその横顔には、今なお風を裂くような気配があった。
――風のように走り、波のように揺れ、海のように深く記憶に残る。
テイエムオーシャン。彼女は今も、競馬という名の大海原にその名を刻み続けている。
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