北の大地・新冠町の静かな朝、霧の向こうから一頭の仔馬がこの世に産声をあげた。黒く艶やかな被毛、澄んだ瞳。しかしその身は繊細で、体は小さく、後肢は弱々しかった。人々は囁いた。「この仔は走れないかもしれない」。
だが、その牝馬には名があった。――ファレノプシス。胡蝶蘭の学名。静かに、けれども気高く咲くその名に、牧場主は未来を託した。
その信念は、やがて芽吹く。3歳春、ファレノプシスは栗東の浜田厩舎に入厩。調教では柔らかい脚捌きと集中力で関係者の目を奪った。11月末、阪神の新馬戦。ダートの短距離戦で、彼女はまるで風のように走り抜けた。後続を9馬身突き放す圧勝劇。
その日を境に、彼女の運命は動き始めた。
翌年の春、ファレノプシスは桜花賞に挑む。鞍上には若き名手。レース前、緊張した空気の中、ファレノプシスは静かにパドックを周回していた。だが、ゲートが開いた瞬間、彼女は誰よりも速く地を蹴った。最終直線、追いすがるライバルたちを振り切り、白いゴール板へと真っ直ぐに駆け抜ける。咲いた――ファレノプシスの名が、春の桜とともに、競馬界に爛漫と咲き誇った瞬間だった。
続くオークスでは惜しくも3着。だが彼女は折れなかった。秋、ローズステークスを勝ち、秋華賞では再び頂点へと舞い戻る。牝馬二冠、そして最優秀4歳牝馬に選出された年、彼女は名実ともに「女王」と呼ばれる存在となった。
だが栄光の陰には、いつも孤独な戦いがあった。周囲が期待を背負わせれば背負わせるほど、結果を出さねばならないという重圧が肩にのしかかった。1999年、古馬となった彼女は苦戦を続ける。有馬記念でも見せ場なく敗れ、人々の期待は次第に別の若い才能へと移っていく。
――それでも、ファレノプシスは走ることをやめなかった。
2000年、晩秋の京都。エリザベス女王杯。かつての女王が、再びその王座に挑む。幾多の試練を乗り越えたファレノプシスは、この日、生涯最高の走りを見せた。馬群の外から一気に弾けると、鋭く伸びて先頭に立ち、かつて自らの影を追っていた若きライバルたちを置き去りにする。
「私は、まだ咲ける。」
彼女の体から湯気が立ちのぼり、全身を駆け抜けた風が芝を揺らす。栄光、挫折、そして復活。その全てを背負い、彼女はもう一度、胡蝶として空を舞った。
レース後、彼女の名は再び讃えられた。最優秀5歳以上牝馬。復活の女王。だが、ファレノプシスにとっては、もう称号などどうでもよかった。ただ、走ることが幸せだったのだ。
引退後、彼女は繁殖牝馬として新たな使命を担う。娘・ラナンキュラスは彼女の走りを受け継ぎ、弟・キズナはダービーを制して血の誇りを示した。
けれども、あの桜舞う日の勝利も、秋の逆転劇も、彼女の心の中では「ただ一度きりの、走る歓び」だった。名もなき牧場で育ち、多くを背負い、時には失敗し、けれども何度でも立ち上がった小さな牝馬。
幸福が飛んでくる――
彼女の名が胡蝶蘭であったのは、偶然ではなかったのだ。
その名のごとく、やわらかな光と、ひとひらの幸福が、競馬という空に舞い続けている。
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