陽の光を反射するターフを、あの馬は静かに歩いていた。風の音も、観客の喧噪も、すべてがその存在を讃えるかのように後退し、ただ一頭、彼だけが異なる時を刻んでいた。
その名は、ライスシャワー。
祝福の象徴とされるその名前に、皮肉のような重さを感じさせた馬だった。黒鹿毛の艶やかな体、決して大柄ではないその姿は、ただ静かに、しかし確かな意思を持って走るためだけに生まれてきたようだった。
彼の物語は、北の大地、登別の小さな牧場から始まった。牡馬としては小さな体に、不安と期待が同居した。しかし、初めてゲートが開かれたあの日、彼の一歩は何者にも似ていなかった。どこまでも真っ直ぐに、風を切って進むその走りには、勝利に飢えた獣のような執念があった。
1992年。クラシック最後の舞台・菊花賞。無敗の三冠馬ミホノブルボンを阻む者などいないと思われた舞台で、ライスシャワーは立ち向かった。重圧、罵声、期待…すべてを背負って、それでもただまっすぐに駆け抜けた。最終直線、静寂を裂くように彼が先頭に立ったとき、場内の空気は凍りついた。そして歓声ではなく、悲鳴にも似たざわめきが渦巻く中、彼はゴール板を切った。
その日から、彼の肩書きは「黒い刺客やレコードブレイカー」と呼ばれるようになった。
1993年、天皇賞(春)。今度は名馬メジロマックイーンの歴史的偉業・三連覇を阻止した。その勝利すら、拍手ではなく、沈黙で迎えられた。
「なぜ…祝福されないのか?」
誰もが待ち望む英雄ではなく、常に“阻む者”として立つ宿命。彼の勝利は、他者の夢を砕くことでしか得られなかった。
やがて不調と怪我が彼を襲い、表舞台から姿を消した2年間。だが彼は諦めなかった。走る意味を、彼は忘れていなかった。
1995年春。彼は帰ってきた。鮮烈な脚で、天皇賞(春)を制し、再びその名を刻んだ。歓声が、ついに彼に向けられた瞬間だった。
「おかえり、ライスシャワー」
誰かがそう呟いた。その声が、どれほど彼を救っただろうか。
だがその声は、最後の舞台となった宝塚記念で、悲鳴に変わる。最終コーナー、彼の脚が止まり、そして崩れ落ちた。静まり返る競馬場。騎手が彼の首に手を当て、静かに呟いた。
「ありがとう」
ライスシャワーはそのまま、風になった。
勝利のたびに罵声を浴び、栄光のたびに孤独と向き合った彼は、ただただ、走ることに誠実だった。だからこそ、その走りは多くの人の記憶に刻まれ、今なお語り継がれている。
——祝福とは、誰のためにあるのだろうか。
黒き祝福の名を持つ馬は、今日もどこかで、静かに風を切って走り続けている。
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