風が吹いていた。
5月、まだ若葉が朝露をまとって輝く北海道の門別町で、一頭の小さな牡馬が静かにこの世に降り立った。名はまだない。ただ、彼のまなざしにはすでに、「誇り高く、己を貫き通す」者の気迫が宿っていた。
彼はのちに「イナリワン」と名付けられる。父はミルジョージ、母はテイトヤシマ。サラブレッド界の名血というにはやや寂しく、体格も小柄。目立つ存在ではなかった。
だが、調教師は、その奥に眠る火を見抜いた。「この馬は、やる」と。
大井の風、吠ゆ
競馬という名の世界において、地方と中央の格差は深く、時に残酷だ。だがイナリワンはその序列に屈しなかった。
1986年、大井競馬場にてデビュー。結果は圧勝。続くレースでも圧倒的な末脚で他馬を置き去りにし、まるで大井の風が駆け抜けたかのようだった。1987年、東京王冠賞をはじめとした重賞を総なめ。だが全てが順風満帆ではなかった。雨に沈んだ泥のコース、スランプ、追われる立場となる苦しみ……。
それでもイナリワンは走った。顔を泥にまみれさせながらも、ゴールに向かって突き進んだ。
そして1988年、東京大賞典を制し、大井の頂に立つ。
だが――それは、ほんの序章にすぎなかった。
中央への反逆
「中央に行くのか?」
誰かがそう呟いた。
地方競馬の星、イナリワンの中央移籍。1989年、栗東の鈴木厩舎へ移り、中央の洗礼を受けることとなる。
その初陣――天皇賞(春)。府中の長距離で、誰もが彼に懐疑の目を向けていた。「地方上がりの馬が勝てるはずがない」と。
だが彼は、静かにゲートに立ち、スタートを切った。
風のように、雷のように。
ラスト200メートル、先頭を行く名馬たちを一頭また一頭と飲み込んでいく。歓声が爆ぜた。実況が吠える。「イナリワンだ! イナリワンが来た!」
彼は勝った。圧倒的に、美しく、そしてドラマティックに。
続く宝塚記念も制覇。彼は「地方から来た風」ではなく、「中央をも支配する覇王」となった。
オグリキャップ、スーパークリークと共に「平成三強」と称され、日本競馬界の頂点を担う存在となる。
聖夜の決戦 ― 有馬記念
1989年12月24日、有馬記念。
それは“戦”だった。平成三強、ついに最終決戦の舞台に立つ。
ファン投票1位のオグリキャップ。菊花賞馬スーパークリーク。そして、地方出身、激走の使者――イナリワン。
中山競馬場、観客12万人。熱気が空を裂く。
スタートの号砲が鳴った。
先手を奪う者、耐える者、脚をためる者。駆け引きの渦の中で、イナリワンはじっと、しかし確かにその牙を研いでいた。
そして第4コーナー。内からスルスルと抜け出すスーパークリーク、外から追い込むオグリキャップ――その間を裂くように、イナリワンが躍り出た。
「勝負だ」
そう言わんばかりに、彼は地を蹴る。脚を飛ばす。
そして、勝った。1馬身差の勝利。
「これが、イナリワンだ」
中央の空を見上げながら、彼は静かに立っていた。
静かなる余生
引退後、種牡馬として活動したイナリワンは、2004年に種牡馬を引退。その後は功労馬として余生を送り、2016年2月7日、32歳でその生涯を閉じた。気性の荒さで知られた現役時代とは対照的に、晩年は若い馬たちの良き先生として穏やかに過ごした。
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