春の風がまだ冷たい北海道・門別町。1980年4月、佐々木牧場の片隅に一頭の仔馬が生まれた。黒鹿毛のその牡馬は、まだ足取りもおぼつかないながら、やけに澄んだ目で周囲を見渡していた。
「こいつは、大物になるかもしれん」
牧場主のひとことが、未来の“マイルの皇帝”を予言していたのかもしれない。
その名は──ニホンピロウイナー。
速さという宿命
デビューは1982年9月。阪神競馬場での新馬戦だった。ゲートが開いた瞬間、彼は迷いなく飛び出した。流れるようなフォーム、他馬を置き去りにする末脚。まだ幼さを残した3歳馬は、その初陣でまるで既に勝つことを知っているかのような走りを見せた。
その後も勢いは止まらなかった。デイリー杯、もみじ賞と連勝し、3戦3勝。世代の中心に名乗りを上げる。
だが、初めての挫折もまた早かった。阪神3歳ステークスでアタマ差の2着。勝てるはずだった。それだけに、悔しさが尾を引いた。
迷いの春、覚醒の夏
クラシック戦線への夢もあった。だが、スプリングステークス6着、皐月賞ではまさかの20着。
「この馬は、距離が長すぎるのではないか」
陣営は決断を迫られた。そして導き出した答えは──短距離路線への転向だった。
1983年の夏、彼は目覚めた。トパーズS、CBC賞、セントウルSを快勝。誰もが知る“快速馬”となり、その年の最優秀スプリンターを手にする。マイル前後こそが、彼の王国だった。
復活と戴冠
1984年、グレード制導入の年。短距離界が注目される中、ニホンピロウイナーは更なる進化を遂げようとしていた。
しかし、春に脚部不安を発症。戦線を離脱する。
夏の終わり、彼は再びターフに帰ってきた。朝日チャレンジCを勝利し、スワンSでは7馬身差の圧勝劇。タイムはレコード。復活を高らかに告げる一戦だった。
そして、伝説が生まれる。
11月18日、第1回マイルチャンピオンシップ。強豪ハッピープログレスを寄せ付けず、悠々とゴールを駆け抜ける。
「これが、ニホンピロウイナーだ!」
スタンドのどよめきが、ひとつの時代の到来を告げていた。
頂点の孤独
1985年。5歳を迎えても、その脚は鈍らない。マイラーズC、京王杯SC、安田記念と重賞を次々と制覇。
だが、目指すは秋の大一番──天皇賞・秋。
距離2000mという未踏の地。ニホンピロウイナーは果敢に挑み、見事3着。敗れはしたが、その闘志は誰よりも輝いていた。
そして、マイルチャンピオンシップでは再び王座へ。
「二連覇達成──これはもう、皇帝だ」
人々はそう称えた。
未来への蹄音
引退後、彼は種牡馬となり、後継たちにその血を託した。ヤマニンゼファー、フラワーパーク──いずれも、父譲りのスピードを受け継いでいた。
2005年、25歳で静かに天へ旅立つ。
だが、その足跡は今も日本競馬の草原に、風のように響いている。
マイルに革命を起こした名馬。スプリント界を切り拓いた先駆者。そして、何よりも「勝つことの意味」を知っていた孤高の王。
──その名は、ニホンピロウイナー。
終わりなきレースは、今も私たちの胸の中で続いている。
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