その走りは、全て衝撃だった。
静かなスタートゲートから、直線だけで一気に観客を魅了し、ただ一頭だけが“空を飛んでいた”ように見えた。
ディープインパクト。
彼は、日本競馬の歴史を、価値観を、そして未来を変えた存在だった。
「英雄」誕生の瞬間
2002年3月25日、北海道・早来町(現・安平町)のノーザンファーム。
父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘアから、後に「英雄」と呼ばれる牡馬が生を受けた。
入厩当初から「異次元の才能」と囁かれていた彼は、2004年12月のデビュー戦でいきなり圧巻の勝利を見せる。
その瞬間、競馬ファンの多くが悟った。
――“とんでもない馬が現れた”と。
無敗三冠、そして「世界」へ
2005年、3歳クラシック戦線へ。
皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、そして菊花賞。
無敗で駆け抜けた「三冠」は、史上2頭目にして最速・最軽量・最華麗。
ディープのレースには、“華”があった。
馬群の最後方に身をひそめ、直線で外に持ち出すと――
その一瞬、世界がスローモーションになったかのような衝撃的な末脚で、全てを飲み込んでいった。
「こんな馬、見たことがない。」
誰もが口を揃えて言った。いや、言わざるを得なかった。
海外挑戦──栄光と試練
2006年、凱旋門賞挑戦。
「世界一」を証明するため、ディープは日本競馬の夢を背負い、フランス・ロンシャンのターフに立った。
しかし、結果はまさかの3着(のちに失格)。
薬物検出という残念な結末が彼の挑戦に影を落とした。
だが、それでもディープの評価が揺らぐことはなかった。
なぜなら、彼が挑んだからこそ、次なる夢が見えたのだ。
有終の美──ラストランに響いた大歓声
2006年12月、有馬記念。
引退レースの舞台で、ファンが待っていたのは「伝説の締めくくり」。
最後の直線、後方から一閃。
あの日と同じように、いや、それ以上に華麗に。
まるで空を駆けるようなその走りに、場内は割れんばかりの歓声に包まれた。
「これが、ディープインパクトだ。」
誰もがそう思った。涙をこらえながら。
種牡馬として、さらに輝く
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。
その才能は次世代に確かに受け継がれ、ジェンティルドンナ、コントレイルなど、数多くの活躍馬を出して日本競馬の血統を変えた。
そして、2019年――
突如として訪れた別れの報せ。17歳という若さでの逝去。
しかし、彼の血は日本を超えて、世界にディープインパクトの血統は広がり、息づいている。
ディープインパクトという「衝撃」
ディープインパクトの名前には、「深い衝撃」という意味がある。
その名のとおり、彼は私たちの心に、生涯消えない衝撃を刻んでいった。
私たちは忘れない。
ディープが飛んだあの瞬間。
声が出ず、ただ涙が溢れたあのゴール前。
“競馬がスポーツを超える瞬間”を見せてくれた、唯一無二の英雄を。
レビュー1
圧倒的な末脚
ディープの圧倒的な末脚に魅力されました。僕の最強馬です。
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