風が、牧場の丘を駆け抜けた。
その日、北海道千歳の社台ファームに一頭の牡馬が産声を上げた。
栗毛の少年は、まるで自分がこの世界の中心だと言わんばかりの強い眼をしていた。
「サンデーサイレンスの息子か……いやはや、こりゃ暴れん坊になるな」
牧場員は笑った。だがその予想は、嬉しくも的中した。
名はダイワメジャー。
王者の血を受け継ぎながら、彼の物語は決して順風満帆ではなかった。
反抗の春
初陣は2003年、冬の中山。
だが、若きメジャーはレース前から大暴れ。パドックでは寝転び、ゲートでは前足を蹴り上げた。
「馬鹿なヤツだ……」と誰かがつぶやいた。
だが、ゲートが開いた瞬間、その“暴れ馬”は真っ直ぐに風を切った。
結果は2着。あれだけの混乱の中で、負けなかった。
「こいつ、本物かもしれん」——厩舎内にざわめきが走った。
それはただの序章だった。
2004年、春。
皐月賞。当日の人気は10番。誰も彼に期待していなかった。
けれどあの日、混戦を抜けたのは、あの栗毛だった。
歓声が中山を揺らした。
——紅き暴れ馬が、クラシックを制したのだ。
沈黙と闘い
勝利の代償は重かった。
その後、彼は“喘鳴症”という呼吸の病を発症する。
「走るたびに喉が鳴る……だが、それでも走る」
ダイワメジャーは沈黙の中で耐えた。
2005年、手術と長いリハビリを経て再びターフへ。だが、調子は戻らない。
「皐月賞馬もここまでか」——囁かれるたびに、彼は牙を研いでいった。
そして、2006年の秋が来た。
紅の覇者
秋風が吹き抜けた東京競馬場。
毎日王冠で、ダイワメジャーはかつての王者・スイープトウショウを堂々と退けた。
続く天皇賞(秋)、そしてマイルチャンピオンシップ。
——彼は、強く、そして美しかった。
2007年。6歳となった栗毛の王者は、安田記念を獲った。
そしてもう一度、マイルチャンピオンシップを制した。
赤い勝負服が、京都の空に映えた。
種をまく者
引退レースは有馬記念。結果は3着。
だが、誰もその勇姿を責めなかった。
「ありがとう、ダイワメジャー」
その後、彼は種牡馬となる。
そして、また一頭、また一頭と、赤き魂を継ぐ若駒が世に送り出されていく。
アドマイヤマーズ、カレンブラックヒル——彼の“闘志”は、今も走り続けている。
人は言った——「ダイワメジャーは荒くれ者だった」と。
だが、彼を知る者は笑って答えるだろう。
「違う、あいつは、魂で走る馬だったんだ」
——そう、風のように、炎のように。
一度燃え上がれば、誰にも止められない。
それが、紅き王者・ダイワメジャーの名が、今も語り継がれる理由だ。
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