孤独な蹄音
五月の風は、まだ少し冷たかった。
北海道・伊達の地にあるメジロ牧場の一角。午前五時、長く暗い夜を越えて、一頭の命が産声をあげた。だがその産声は、祝福よりも不安を呼ぶものだった。
「血液型が合わない。母乳が……この子の命が危ない」
牧場のスタッフが顔を曇らせる中、小さな牝馬は懸命に呼吸を続けていた。冷たい風が吹き抜ける厩舎で、彼女は別の馬から初乳をもらい、生きるために戦いを始めた。幼い体に刻まれた小さな勝利。それが、すべての始まりだった。
名前は――メジロドーベル。
光に向かって
1996年。鹿毛の体をした少女は、札幌競馬場のゲートの中にいた。
初めて見る観客、鳴り響くファンファーレ。だが彼女の目はまっすぐ前を向いていた。
スターターの旗が振り下ろされた瞬間、彼女は風の中へと飛び出した。
――これが、私の場所。
数週間後、彼女は「阪神3歳牝馬ステークス」で圧倒的な末脚を披露し、名を刻んだ。まだ幼いながらも、誰よりも強く、そして誰よりも静かだった。
春の涙、夏の誓い
1997年、桜花賞。
圧倒的な1番人気を背負ったメジロドーベルだったが、結果はキョウエイマーチの逃げに屈した2着。初めての敗北だった。
「私が……遅かったの?」
静かな夜、厩舎の片隅で、彼女は初めて涙を流したという。
だがその夏、彼女は立ち上がった。
オークス。2400メートルという長い道のりの中、ドーベルは懸命に脚を伸ばした。
――もう、誰にも届かせない。
その蹄音は風を裂き、彼女の体は栄光のゴール板を駆け抜けた。2着に2馬身半の差。勝者の名は、再びドーベルに戻ってきた。
孤高の女王
秋、京都競馬場。
「秋華賞は、譲らない」
誰もが注目するレースで、彼女は再び脚を伸ばし、見事に二冠を達成した。
一方、彼女の眼差しはどこか寂しげだった。名門・メジロ家に生まれ、孤高を貫く存在。同期に仲間と呼べる者は少なかった。
だが彼女は、誰よりも努力を重ね、冷たい風の中を一人で走り続けていた。
勝つことが、彼女の言葉だった。
風を切って、そして――
1998年、1999年。
幾度となく敗北と勝利を繰り返しながらも、彼女は「エリザベス女王杯」を2年連続で制覇した。
王者の風格、揺るがぬ眼差し。すでに誰もが、彼女を「女王」と呼ぶようになっていた。
だが、その蹄の音は静かに止まりつつあった。
どこか寂しそうに、彼女はゲートを見つめていた。
そして、2000年春。メジロドーベルはターフを去った。
21戦10勝。GⅠ 5勝。彼女の名は、永遠に刻まれた。
新たな風へ
その後、彼女は繁殖牝馬として新たな道を歩み始めた。
生まれてきた子たちがまた、風を切って走り出す。
彼女の血と魂は、まだ終わらないレースの中にある。
いつの日か、あの少女のように――孤高を駆ける者が、また現れるだろう。
そして風が吹くたびに、観客は思い出すのだ。
あの、メジロドーベルの鋭い末脚と、静かに燃える眼差しを。
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