1999年、アメリカ・ケンタッキーの空の下に一頭の黒きサラブレッドが産声を上げた。
その名は「シンボリクリスエス」。後に日本競馬史を塗り替える存在となる名馬である。
日本の名門・シンボリ牧場が、父クリスエスの力強さに賭け、母ティーケイを導き、血と運命を掛け合わせた奇跡だった。
しかし、幼駒時代の彼に寄せられた期待は、決して大きなものではなかった。細身で、ひ弱。セリでも売れ残った──
だが、それが運命を変える始まりだった。
【挑戦】──未完成の大器、デビュー戦
2001年10月、東京競馬場。
未完成の肉体を抱えたまま、シンボリクリスエスは静かに新馬戦へと歩を進めた。
直線に向かうと、その巨躯からは想像できぬ切れ味を見せ、鮮烈なデビュー勝利。
その後、青葉賞を制し、武豊の「秋にはすごい馬になる」という言葉通り、成長の兆しを見せ始める。
だが、日本ダービーではタニノギムレットに屈し、無念の2着──
まだ、物語はここで終わるはずもなかった。
【飛翔】──天皇賞・秋、歴史を超えた若き王者
秋、神戸新聞杯を勝ち、陣営は決断する。「菊花賞ではない。古馬を打つ!」
迎えた天皇賞・秋。
中山の芝を駆けたその黒い馬体は、苦しい馬群の中から進路をこじ開け、一気に加速。
ナリタトップロードら歴戦の勇者たちを退け、史上3頭目の3歳馬による天皇賞制覇を成し遂げたのだ。
この瞬間、日本競馬界は新たな王の誕生を知る。
【栄光】──有馬記念、追い込みの美学
さらに彼は年末、ファン投票2位で挑んだ有馬記念で、圧倒的な末脚を爆発させる。
タップダンスシチーの独走を、直線一気にのみ込み、ゴール直前で差し切り。
3歳馬にして天皇賞・秋と有馬記念を制する快挙。
時代は、完全にシンボリクリスエスのものとなった。
【絶頂】──史上初のダブル連覇へ
翌2003年。
休養明けの宝塚記念で苦汁を舐めた彼は、夏を越えさらに逞しさを増す。
秋の天皇賞では、大外枠不利をものともせず、衝撃のコースレコード。
そして迎えた引退レース──有馬記念。
あの日、スタンドの誰もがその強さに言葉を失った。
リンカーンを置き去りにし、2着に9馬身差という歴史的圧勝。
天皇賞・秋、有馬記念をともに連覇。
“黒き皇帝”は、その名に恥じぬ圧巻のラストダンスを披露した。
【継承】──血脈は未来へ
引退後、種牡馬となったシンボリクリスエスは、ルヴァンスレーヴ、エピファネイア、レイデオロといった名馬を輩出。
特にエピファネイアの系統からは、無敗の三冠牝馬デアリングタクト、そしてエフフォーリアが続き、その血はさらなる伝説を刻んでいる。
【別れ】──蹄葉炎、そして静かな最期
2020年冬。
シンボリクリスエスは蹄葉炎と闘い、やがてその生命を静かに閉じた。
享年21歳。
だが彼の名は、走った記憶と、受け継がれた血脈とともに、永遠に輝き続ける。
──天空を駆けた黒き皇帝、シンボリクリスエス。
その栄光の軌跡は、今もなお、競馬という舞台に刻まれている。
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