2020年2月2日、北海道の地に一頭の牝馬が生まれた。
名をリバティアイランド――「自由の島」。
その名前には、果てしない希望と、誰にも縛られない強さが込められていた。
デビュー戦。新潟の芝1600メートル。
誰もが驚いた。上がり3ハロン31.4秒という、史上最速タイの切れ味。
それはまるで、草原を裂いて走る風そのものだった。
2歳でGⅠ、阪神ジュベナイルフィリーズを制し、最優秀2歳牝馬に選ばれた。
3歳になると、リバティアイランドの伝説は本格的に始まった。
桜花賞、優駿牝馬(オークス)、秋華賞。
どのレースも、彼女は圧倒的な力で駆け抜けた。
誰もが声をあげた。
「こんな牝馬は、見たことがない」と。
中でもオークスで見せた6馬身差の圧勝劇は、
あのジェンティルドンナをも超える、歴史に刻まれる勝利だった。
その姿は、自由に、誇り高く、まるで自由の女神が光を放つようだった。
牝馬三冠達成。
史上7頭目、そして現代競馬の最高傑作とも讃えられた。
彼女の走りは、日本の競馬界に「奇跡」という言葉を思い起こさせた。
だが、栄光の陰には、静かに忍び寄る運命の影があった。
4歳、ドバイでの挑戦。
香港での死闘。
繰り返す遠征と激闘の果てに、リバティアイランドの身体は限界を迎えていた。
2025年4月27日、香港・沙田競馬場。
クイーンエリザベス2世カップ。
直線、リバティアイランドは突然スピードを失い、歩様を乱した。
鞍上・川田将雅騎手はすぐに下馬し、彼女を守ろうとした。
だが――「左前脚の種子骨靭帯の断裂、球節の亜脱臼」
それは、競走馬にとってあまりにも過酷な診断だった。
予後不良。
帰らぬ存在となった。
あれほど自由に、あれほど力強く走ったリバティアイランドが、
草の香りの中、静かにその命を終えた。
彼女は、生涯12戦5勝。
GⅠ4勝、牝馬三冠。
勝利も、敗北も、すべてが輝いていた。
いや、だからこそ、彼女はただの名馬ではなかった。
魂を走らせた存在だった。
私たちは、リバティアイランドの走りに、心を震わせた。
彼女が見せてくれた奇跡に、何度も夢を見た。
そして今、胸に刻む。
「たとえ短くても、彼女の軌跡は永遠だ」と。
自由の名を持つ彼女は、今も私たちの心の草原を駆け続けている。
ありがとう、リバティアイランド。
君の走りは、決して忘れない。
レビュー0