2004年、北海道静内のカントリー牧場。冷たい春風の中で、1頭の牝馬が生まれた。母はタニノシスター、父は東京優駿を制したタニノギムレット。だがその瞬間、誰もこの小さな鹿毛の牝馬が、後に“革命”の名を背負うとは想像していなかった。
彼女の名は、強さの象徴として名付けられた。
“ジン”ではなく“ウオッカ”。
アルコール度数の高さだけじゃない。意志の濃さ、刃のような走り。牝馬でありながら牡馬に伍し、いや、凌駕してこそ――そんな願いがその名には込められていた。
育成の段階から彼女は別格だった。2歳を過ぎる頃には、年上の馬を圧倒する走りを見せ、調教助手は舌を巻いた。どんなに手綱を締めても、心が先にゴールへ走ってしまう。目の奥にある火種を誰もが見た。そして、その炎が最初に爆ぜたのは、2006年の阪神ジュベナイルフィリーズ。彼女は差し切った。まるで「女の子でも、これができる」と言わんばかりに。
だが、それはまだ序章に過ぎない。
翌年、誰もが口にした言葉があった。
「牝馬がダービー? 無謀だ」
――彼女は、笑った。
2007年5月27日 東京競馬場
東京優駿(日本ダービー)
彼女は、静かにゲートへと向かった。
誰よりも軽やかに、そして何よりも、誇り高く。
芝の上を、鋼のような蹄が刻む。
前へ、前へ。どの馬よりも軽く、けれどどの馬よりも強く。
コーナーを抜け、直線に差し掛かる。
その瞬間、東京競馬場の空気が変わった。
彼女が中央を突き抜けたその時、空が割れたようにスタンドがどよめいた。
「行けえええ、ウオッカァァァァァ!!!」
観客の叫びが、風となって背中を押す。
残り200メートル、先頭を行くアサクサキングスを捕らえる。
残り150、肩を並べた。
残り100、置き去りにした。
――3馬身差。完勝。
時計が止まったような静寂の中で、実況が吠えた。
「ウオッカだ! ウオッカがダービーを制した! 牝馬として、実に64年ぶりの快挙です!!」
64年ぶりに牝馬が東京優駿の頂点に立つ。あの瞬間、彼女の走りは”時代”を変えた。王道を突き破った革新。ウオッカが残した蹄跡は、芝の上にではなく、人々の記憶の中に永遠に刻まれたのだ。
牝馬でありながら、牡馬に立ち向かう孤高の戦士。
ダービー馬でありながら、安田記念、天皇賞(秋)、ヴィクトリアマイル、そしてジャパンカップまで制した、GI7勝の女帝。
凱旋門賞を夢見て、ドバイの地まで駆け抜けたその魂は、どこまでも貪欲だった。
「最強の牝馬」はただの称号ではない。
それは、走る理由だった。
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