競馬において、“グランドスラム”という肩書きは、そう簡単に手に入るものではない。
テイエムオペラオー(牡・鹿毛)は、2000年という世紀の節目に、日本競馬の頂点に君臨し続けた絶対王者である。
彼の名は、今なお多くの競馬ファンの胸に深く刻まれている。
■ 地方オーナーの夢から生まれたスター
テイエムオペラオーが生まれたのは1996年。
父はオペラハウス、母はワンスウエド。この血統は必ずしも王道ではなかったが、九州の小さな牧場で誕生した一頭の牡馬は、後に中央競馬の歴史を塗り替える存在となる。
馬主は九州・鹿児島の“テイエム”冠名で知られる竹園正繼氏。中央の名門ではない一介の地方馬主の夢が、この馬に託されていた。
■ 鮮烈なクラシック戦線、そしてG1制覇へ
デビューから地道に実績を積んだテイエムオペラオーは、1999年のクラシック戦線で頭角を現す。皐月賞では3着、東京優駿(日本ダービー)も好走と、クラシック三冠には届かなかったが、その実力は徐々に本物へと進化していった。
転機となったのは、秋の菊花賞。距離適性が問われる3000m戦で堂々と勝利し、初のG1タイトルを獲得。オペラオーの時代の幕開けである。
■ 史上初・年間無敗の古馬王道完全制覇
2000年、彼は誰も成し遂げたことのない快挙へと突き進む。
阪神大賞典に始まり、春の天皇賞、宝塚記念、京都大賞典、そして秋の天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念――。
そう、G1を含む年間8戦8勝。しかも、古馬王道G1を完全制覇。これは、いまだに破られていない日本競馬史上唯一無二の記録である。
何がすごいかと言えば、そのどのレースも決して“楽勝”ではなかったこと。豪脚で差し切ったり、わずかのハナ差でしのいだり、時に周囲の大歓声を裏切るような接戦を演じながらも、決して負けなかった。
■ “強すぎるがゆえのアンチ”と、それをもねじ伏せた強さ
あまりにも勝ち続けたことで、「人気より強さの象徴」として評価が分かれることもあった。
レース内容に危なっかしさが見えると、「運がいいだけ」などと揶揄されることも。
だが、名手・和田竜二騎手とのコンビで、すべての重圧を跳ね返して走り抜けた。
和田騎手にとってはG1初勝利の相棒でもあり、両者の“挑戦者であり続ける”姿勢が競馬ファンの心を打った。
■ 引退、そして伝説へ
2001年、ついにその王座に陰りが見え始める。天皇賞(春)ではナリタトップロードに先着を許し、秋にはジャングルポケットの若さに屈した。
そして有馬記念。彼のラストランは4着。だが、それでもファンは彼を“王者”と呼んだ。
勝ち続けることの難しさ、それを成し遂げるための“芯の強さ”を、オペラオーは全身で教えてくれた。
彼は決して派手な馬ではなかった。だが、勝利への執念と不屈の魂で、歴史にその名を刻んだ。
テイエムオペラオー――その走りは、今も競馬というドラマの中で生き続けている。
通算成績:26戦14勝(G1・7勝)
獲得賞金:18億3,518万円――日本競馬史上、名実ともに“最強世代”の象徴である。
レビュー1
世紀末覇者
2000年という節目の年に現れた世紀末覇者という名に相応しい完璧な成績
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